はじめまして、こんちゃんと申します。
この記事は過食嘔吐になった”きっかけ”から”どのような生活をしていたのか”を書いています。
過食嘔吐を治したことについての記事はこちら
摂食障害(過食嘔吐)になったきっかけ
きっかけは”太ってはいけない”という恐怖心でした。
中学から陸上(長距離)をはじめて、高校は全国でも有名な陸上の強豪校に入学しました。そして陸上部専用の寮生活がスタート。寮で出される食事以外食べるの禁止なので厳しい監視。
「体重が1Kg増えたら1秒遅くなる」と監督から呪文のように言われる日々。太ったら監督に怒られ、”太ることは悪いこと、痩せているのが良いこと“と思うようになりました。
キツい練習、厳しく監視される寮生活に耐えられず17歳の春、初めて食べたものを嘔吐しました。
過食嘔吐をするのは月に1回実家に帰った時だけ。寮生活では食べられない菓子パン、ホットケーキ、ドーナッツ、大福など炭水化物と糖質のかたまりを胃がはち切れるまで食べ、家に両親や兄妹がいない隙にトイレで嘔吐していました。
当時は、まさか10年以上も過食嘔吐が続くなんて思わず、軽い気持ちで吐いていました。吐けば体重も増えないし、好きなものをたくさん食べてもオッケーじゃんと。
過食嘔吐をしていた時の生活
高校を卒業して陸上から離れたのですが、精神的にまだ未熟な10代の頃に植え付けた「太っているのはダメ、痩せているのが良い」という太ることへの恐怖心はなかなか消えませんでした。(走ることをやめたので+20kg太りました)
学生時代
19〜20才
一番ピークで毎日1回は吐いていたにも関わらず自分は摂食障害ではないと思っていました。(今思えば、認めたくなかっただけだと思う)
授業がある日のお昼ごはんは、太ってる自分が食べているところを他人(友達にも)に見られたくないからサラダと水だけで、家に帰ってから食べて嘔吐。ときには人の出入りが少ない棟のトイレの個室で食べて嘔吐。
一人暮らしをしていたので誰の目も気にすることがないから深夜にスーパーへ行き値引きされた惣菜をたくさん買って食べては嘔吐。
過食嘔吐をしたくないのにやめられない自分が嫌になり泣きながら毎日吐いていました。チューイング(噛み吐き)もしましたが、それは1度だけ。
左手を喉の奥まで入れて吐いていたので左手甲にもちろん吐きダコができました。吐きダコができた時、自分は摂食障害なんだと自覚しました。徹底的証拠があるので自覚せざるを得なかったが正しいかも。
母親に摂食障害では?と1度だけ疑われましたが、両親を心配させたくない・わたしは強い子だから摂食障害だとしても一人で治せる、と強がって母親が差しに出てくれた手をふり払いました。
21〜22才
摂食障害だと自覚していてもまだ認めることはできていなかったです。今まで勉強もスポーツも完璧にこなしていた私が病気になるはずがない、わたしは精神が強いというプライドがあったためです。
人前で食事ができるようになりましたが、食事の中盤になると頭の中は家に帰って吐くことしか考えてなくて友達との食事がひどく苦痛でした。吐くためにたくさん食べて、お酒もたくさん飲んで……時間とお金と自分の心をトイレに流していました。
社会人
23才〜
仕事の日は疲れ果てて過食嘔吐をする気力もなかったのですが休みの日の前夜から日頃のストレスを発散するかのように無心で食べて、太りたくないから嘔吐をしていました。
この頃から下剤の薬や便秘解消のお茶を乱用し始めました。ですが半年くらいで使うのは意味がない、ムダだ。と思いやめました。
25才〜
理想とは違う今の自分を認め受け入れることができ過食嘔吐をしてもいいんだ、と思えるようになりました。ここから、過食嘔吐の回数は減りました。
28才〜
運動をする習慣をつけたいと思い半年間ジムに通いました。体を動かすことで精神のバランスがとれて過食嘔吐は治まりました。
ただ、ジムを退会したあと自宅で筋トレやウォーキングを続けていたけど、仕事の忙しさにかまけてサボっていたら過食嘔吐が再発しました。
30才〜
仕事のペースや運動量、食事内容とかを試行錯誤しながら自分にあったペースがわかったので過食嘔吐をしたい衝動を抑えることができるようになりました。
12年前のわたしに伝えたいこと
・食べたら動け!食べることも練習だ!
・完璧じゃなくてもいいんだよ。
・どんな自分だって親は受け入れてくれるから話そう。
・親や先生の評価は関係ない、自分で自分を褒めよう。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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